昭和40年05月10日 月次祭
皆さん昨夜10時からテレビ、歌舞伎が久しぶりで御座いましたが、皆さんご覧になったでしょうか。10時からで御座いましたから、お許しを頂いてから、もう、はじめから最後まで、丁度2時間12時まで御座いました。忠臣蔵の7段目、ご覧になったでしょうか。いいお芝居でした。もう、息も継がせないようなお芝居でした。もう、何もかにも忘れさせてしまうんですもんねえ、みんなの名演技が。
2時間ぶっ通しに、眠さも感じなければ、心配事も、(さっきも?)忘れさせてしまうような、うっとりとさせてしまう。私しは舞台を見せて頂きながら感じたんですけれどもね。まあ、東京のあれは、歌舞伎座だったでしょうかしら、まあのう、いわば檜舞台です。あの、大きな舞台に、あの、堂々たるいわば日本一の歌舞伎役者ばかりが、揃うて、演技をするので御座いますから、もう見事な筈で御座いますねえ。
松本幸四郎の「由良之介」梅光の「お軽」、松録の「平右衛門」、もう、そりゃ見事な芝居でした。あの広々としたそれこそ堂々とした、檜舞台である大舞台でです。ね、ああいう、堂々たる役者が演技をして、初めて歌舞伎座もいわば芝居小屋も、晴れるなら役者も晴れる。あれがどうでしょうね、小さい劇場だったらもう、おかしいでしょうね。ご承知のように、あの歌右衛門なんかっていうのは、私ように肥えてます。
こういう大きな「お軽」さんですから、ちょっと見たところではですね、もう本当に堂々たる「お軽」さんです。それに俳する所の幸四郎の「由良之介」であり俳する所の松録の「平右衛門」であるという、もうどこといって非の打ち所のないお芝居。私はあれを見せて頂きながらです、感じたんですけれども、愈々これは椛目が檜舞台に出ようかとしておる。檜舞台に立たなければならん、時期が段々近づいてきた。
ときに中で踊っておる役者が、貧相であったり貧弱であったんでは、折角の檜舞台が死んでしまうと私は思う。
役者が一回り大きゅうならにゃいけないということ。ね、演技も確実ならね役者そのものが一回り大きゅうならなければならないということ。古屋さんのところにある技術家の方がお見えられてから、古屋さんが設計なさっている設計図をご覧になって、ね、「おそらくこれは九州一じゃなくて日本一じゃろう」ちいうて金光様の教会としては。その配図というですか、そのう配り方ちゆうですか、ね、実に見事に出来ておる。
堂々たるもんだというて褒められたと言うことで御座います。ですから、なかで信心の稽古をさせて頂きます皆さんも、そりゃ中心にならせて頂かねばならない私もです。そのお広前に、ふさわしい中心であらなければならない、又皆さんで無からなければならないために、どうでも一つ、一回皆さんが大きゅうならなければいけないということ。それには、私くしは先ず皆さんが一人一人がです。
大きなおかげを受けなければいけないと思う、例えばお月次祭がです夜なべのごとして、仕えられるような事では、もういけないと私くしは思う。先ずですね、まぁどうですね、椛目で檜舞台に出しても良いというならば、お供え物だけぐらいなものじゃなかろうかと。この、お供えものならですね、お供え物だけならば、恐らくどういう立派な堂々たる御神殿にね、お供えをさせて頂きましても。
あるいは一回り大きなお三宝に盛り上げましても、私は見事じゃなかろうかとこう思う、ところが第一中心の私が、前に居並んでおる皆さんが、やはりそれには釣り合わないという感じがする。ね、ということはですおかげだけはです、私は大型のおかげを皆さんが受けておられるんだということを感じるんです。そこでここの中心にならなければならないここの、お広前の基礎とも土台ともね、ならなければならない。
皆さんの信心がです、ね、この皆さんの信心がです、次に枝になり葉になり、花になりまたは実りに成って行く、椛目的大きなおかげになって行くのです。言うならば皆さんは、そうゆう意味合いに於いてです、ここ15年間の間にここに、椛目にご縁を頂いた方達は、そういう意味で選ばれた人達だ、選民だと、キリスト教的に言うならば、ね、その私くしは、自覚に立たなければならない。
という事はお道流に言うならば、どこの誰よりも巡りの深い私共であるという自覚に立たなければならないという事なんですとおもうですね。そこで大きなおかげを頂かせて頂くために、まず私共がもう一遍私共の家の巡りというものをです、また自分の身の巡りというものを自覚して、ね、普通で十(とんお)の信心をするならば、私共は五十も百もの信心をしなければ、人並みのおかげは受けられないという。ね、
その代わりに人並優れたところの、修行の〈(よろこび?)(助かり?)(よくわかり?)〉人並優れたところの力を頂くことも又、間違いないことである。先ずめぐりの自覚、難儀な氏子としての自覚が出来なければならない。どこの誰よりも私共は、めぐりが深いのだ。ね、巡りが大きければ大きいほど、おかげも大きいという、そのおかげを頂いていかねばならん。ただ巡りが深い、ね、
為の皆さんが難儀をしておるというのであってはつまらない。めぐりの深かったおかげで、こういう信心が頂けたのであり、おかげでこういうおかげが頂けれる様になったんだという、おかげを頂かなければならない。どう言う様な信心をさして頂いたら、愈々大きな信心に、一回り大きな信心にならして頂くかと、私は何というてもです神様にその本心をいっちょ、見届けてもらわにゃいけんと、ね。
神様にです、「ね」、あの氏子なら、あの氏子ならと、それこそ「頼りにしておるぞ」と、神様から言うてもらえる思えてもらえるような私共になるために、まず、一つ本心をみせなければいけないと思う、「思うとります」だけじゃ分からんのである。それこそ忠臣蔵の七段目じゃないですけれとも、ね、身分の低い平右衛門がです、どうでも東(あずま)のお供を頂きたい、ね。
四十七士の中に容れて貰いたい、ただ身分が低いばかりにです、それを許されない。忠義の心は、人並み以上に持っておるけれども、ね、やはり人にとりわけ特別、垢の抜けた忠義でも立てない事には、働きでもしないことには、認められないというところに、あの、お軽と由良之介の、問題を聞く訳です。いよいよ、今宵身請けと喜び勇んでおる妹に、「おかしいな、お前を勘平の女房と知ってのことか」と、「いいえ、そんなこと知っておる筈がない。
親や兄弟の恥になるもの、」「どうしてこんなこと明かして良いものですか」と、こういう。「そんならいよいよおかしいぞ」とあれほどの、「ね」、いわば由良之介が、やはり世間で言うように、やはり遊びに放埓遊蕩に、本当に身を持ち崩しておるんじゃなかろうかと疑うわけです。いよいよ由良之介の、心が見届けたと残念がる時にお軽が申します。「あるぞえ、あるぞえ、」と「何があるのか」「たこうは言われん、」こうこう斯く斯くだと、言って耳打ちを致します。聞いてビックリ致します。
今までの悪口雑言どうぞお許し下さい、というてあそこの(違う?)丸の中に座って、その、陰におる由良之介にお詫びをするところがあるですね。それとも知らずもう、あなたの手にかけることでは、ありません。自分の本当の妹であるからには、あなたの手にかけることはない。かけは致しません。私が、お軽の首は、取らせてもらいます。お軽の命はわたくしが、取ってそれを忠義にしてと、こういう意味なのですね。
迷惑なのはお軽さんの方です、「何を言っとる、親方何を言っとるか」と(思うておったら?)、「どうもおかしいと思うておった、やっぱりそうであったのか」と、お前が見てはならないものを見た、ね、生かしちゃおかれんからこそ、身請けの相談があったのだ。お前を身請けされなったら、当然必ず殺さなければならない運命にあるのだから、「ここは、私に、ひと手柄立てさせてくれ、華をもたせてくれ」と、そこで、お軽のそれをもう相談致します。ね、
けれども「家にゃ親も待っておる、恋しい焦がれておるところの、勘平さんも待っておるから、兄さんあんたが言うようにはなれない」と、言うわけ。(感動)そこで、本当のことを、ね。「親父さんはいついつ人手にかかってあえない最期を遂げられた」と。「お前が一生添い遂げたいといっておるところの勘平も、腹切って死んだぞ」というところ。「ね」、そこで、もうこの世に生きる望みも無い。願いも切れた。ね、
どうぞ兄さんあんたのよいように、あたしの身体であんたの忠義が立つなら、どうぞあたしの身体を、命を兄さんにあげると言う様なあれは、筋のお芝居なんですね。愈々兄さんあんたが殺したら、家に待っているお母さんが、妹を殺したというてあなたをうらむ、恨み言を言うであろうから私が自害をする。その自害した後をあなたがどうなっと、良いようにして下さいと、言うわけであの、お軽が自決をしようと致します。
ときに、上のほうに声があって、由良之介が、「兄妹二人の本心見届けた」と、「兄は、東(あずま)のお供をゆるすぞ」というて、由良之介が出てくる。本心が見えた。「ね」、お軽の命を取らなかって済んだ、わたくしはね、そのくらいなね、本心が見えなければ駄目だ。有難いと思うております。おかげとおもうております。本当に、無い命を助けて頂いたと思うております。
あん時に開けん道を神様のおかげで開かせて頂いたと思いますと、いうておるならばです。本当にそう思うておる所の印がです、何かの形をよって現さなければならないということね、神様が本心を見届けたとこの8日の日で御座いましたか、総代会が夕方から遅くまで御座いました。11名の総代さん方が一生懸命に信心共励をなさると同時にその共励の焦点は、やはり御造営の事であったらしい私は聞きませんけれどもね、
そして一同の方がここでお届けをされますのに、先生どんなに思うてみてもどんなに考えてみても、人間の考えでは今度の御造営は、人間の力ではどうにも出来ないという事が分かったという結論が出たということです。ね、(今考えても?)椛目のおかげの事から、あれやらこれやら思うてです。これは私共総代十幾人のものがです、力をあわせ心を合わせて神様にお縋りさせて頂く以外にないという事に結論がでた。
明日からは、そういう意味合いにおいての、一段と信心を進めさせて頂きますから、どうぞ宜しゅうおかげを頂きますように、御造営も順調にお繰り合わせを頂きますようにという、お届けがあった。わたくしは、そのとき申しました。総代さん方、あなた方がその気になっていただければ、みんなが、あなた方についてくる。「ね」、そこからです、神様のおかげが頂けれるんだと、その時に、総代会があっておるときの模様を神様にお届けさしてもらいよりました。最後の御祈念のとき。
そしたらねえ、あのう、山を壊してから泥を運ぶ泥を、ありゃ、何て言うんでしょうか、ガバーっとこう、はさんでからトラックに載せるやつ、あれは何て言うたでしょうかあれは、あれねえ、あの大きな機械がです、こうその土をとってるんです。それがね、ズーっとこう、伸びてね、機械が、伸びて、一山向こうの泥をガバっと、こう掴んでからトラックにこーうやって入れよるところを頂いたんです。
神様がこういうおかげをくださるんだなと、私は、そん時思うた。それで、総代っさん方に私は、それを申しました。あなた方がその気になってです、おかげを頂いて下さるならばです、ね、その本心を明日の朝からもです、信心に表していくという、意思表示を御結界において、なさったらです、どういうことになってきたかと言うことなんです。総代さん方のいわばその、本心を神様が見届け・・・。
見届けなさったわけじゃないけれども、その本心、申し合わせというか、話し合いと言うか、ね、そういう働きにです、いよいよおかげを下さる。もう、明日からじゃない、早速、その晩から働きが始まった。その晩は、丁度青年部会の会合日であった。25~6人集まっておられましたでしょうか、9日の日に信心実習会が、行われるようになっておった。熱心に遅うまで共励なさった。
それも私は、参会いたしませんから、わかりませんけれども、後のお届けを聞かして頂いたんですけれども、ね、今の椛目にです、御用の代わりにです、いわばレクレーションを兼ねたような信心実習会なんていうようなものは、まぁ控えるべきだと。そんなことが在って良い筈がないと。それで、これをです、この一生懸命の思いを御造営のほうにまわそうじゃ無いかという話が、みんなの賛成、ことの中にそうゆう話しが取り決められたということである。
男の方が、全部タバコをやめることを神様にお誓いさせて頂いた。女の方たちじゃない、みんなですけれども、私共の身に付ける物、自分があれこれと、あれも買いたい、これも買いたいという思いをです、ね、「欲しがりません勝つまでは」、ではないですけれども、御造営成就になるまではです。決して私共、身に付ける物一切、何一つでも買うような事は致しませんという、話し合わせがあったと、有難いと思うた。
総代さんドンの心がです、少し本当のことに動き出した、ね、その晩のいわばあくる日の信心実習会がとりやめになって、そう言う様な話になってきた。その晩は同時に企画部の方達の、委員会も一緒に開かれておった。これも夕方から一生懸命それのことについて、話し合いが進められておうた。(なんとは?)なに椛目全体がです、もう日々そういう意味合いでこう、こう何かこう、生き生きとした働きを感ずる。
ところがです、あくる日は皆様もご承知のように、筑水連合会の共励会が、親教会でありましたですね。あの日です(いわば?)、総代さん方がそういうことを話し合われ、申し合わされて、その朝から、明くる朝から、いわば、信心の造営ということについて、実行に移されることになってきた。ところがです、その翌日のいわゆる九日の日です、お参りが何と330人からのお参りがあっております。
御月次祭もやんがて、400人近くありますけれども、やんがて御月次祭ぐらい、伊万里、熊本あたりから、団体参拝があっておる。お初穂なんかは、いつもの10倍であった。ね、本当に中心が動き出した。中心がその気にならせて頂けた。そういうことがです、いよいよ本当のものにです、確実なものにです、これからやはり、本当のものか本当のものじゃないか、引いたり押したりお試しがあることはあるに違いありませんけれどもです、それをです、「本気でやり抜かせて頂くぞ」と。ね、
お互いがです本気でやろうと言う気になりゃ、成就せんことなし。しかもその本気でやろうということが、神様の願いであるとするならば、いよいよ成就せんことない。ね、そういう、一心を持って皆さんがそのことに当たられる、信心の造営に修行に、御用に当たっておいでられる。勿論それは、その翌日だけでございましたけれども、やはり、おかげを頂いてから朝はもうここ一杯一杯です、朝の御祈念がお参りが。ね、
中心が動き出した。所がここ全体が動き出した活発になってきたという事はそのまま、神様が活発になられたのであり、神様が愈々働き出しなさったという事を感じます。そこにそれが愈々順調に信心が進められていかなければならない。その間にね。弾みきっておった心が緩んで来る事もありましょう、ゆうなら雨もありましょう、風もありましょうけれども、その雨やら風やらの様々の障害というものをです。
乗り越えさして頂くところの元気な心を持って神様に打ち向こうて行く時、私しは事の成就が頂けるとこう思うのです。その内容として今朝から頂きます様に、愈々神と仲良うする信心が、なされなければならないと言う事で御座います。愈々「神と仲良うする信心ぞ。」とね、今朝私ご神前に出らせて頂きましたらね、皆んなが神と仲良うする信心をしておる様であっても「つかず離れずの信心じゃ」と神様が仰いますバイ。
「つかず離れずの信心じゃ」。と。ね、だからおかげもやはり「つかず離れず」のおかげであるということ。そこで愈々成り行きを大事にしていかなければいけないと。今朝から波多野さんが御月次祭のお供えを持ってお見えられた。今月はあの東京に行っております真澄さんという息子さんがおります、そのあることが御座いましてから、まああの人にちなんだお供えがさせて頂きたいなあと思って心ひそかに願っておった。ところがあるところから、東京からのお土産というて、東京のお土産を頂いた。
本当に神様もうこちらが本気でそう思わせて頂きよれば、本当に東京に行っておる息子にちなんだ、いわば東京からのお供えのようなお供えをこうやって、今日はおかげを頂いたんですよと言うてから、喜びとともにあの、お供えをなさいました。成り行きを、大事にさしていただくところに、神様はそういう働きを下さるのです。ですから、そのお供えがですよ、もう、惜しいだんじゃない、欲しいだんじゃない。そう言う働きを頂いておると言うことが、有難うて、たまらんということになるわけでしょうが。ね、
昨夜、昨日でした、守部の高山さんじゃないですけれど、皆さんそんな夢をご覧になったことがいくらも、御取次さして頂いたんですけどねえ、私とおんなじ床に入っておった、ね。それこそ裸肌とが呼吸し合う様なものを感じておった。もううっとりとする(笑い)親先生といっしょにこうやって(お布団に入っておった?)。
それがです私は神と仲ようする信心だと、ね、例えば自分の好きな人のためにならばです。ね、惜しいものも、欲しいものもないでしょうが。例えばその好きや好かれたというその仲をです。裂く人どん(ども)があると、いよいよ強うなっていく。一緒にでもなってはならんと言うごたるなら、もう死んだほうがましと、それこそ命もおしゅうないようになってくるでしょうが。
今日私くしがお話申し上げましたその内容がです、どうでも一つ神と仲良うする信心ぞとおっしゃる信心になって行かなければならない。いわゆるつかず離れずではなくてです、思い出したり、忘れたりといったようなものじゃなくてです。「思い出すようじゃ惚れようが薄い、思い出さずに、忘れずに」と言う様に、寝ても覚めてもそのことが思い続けられておる、交流しておると言うような信心。
いよいよ神と仲良う、する信心さしてもろうて、つかず離れずの信心からです、ね、いよいよ神様が、こちらが打ち込みゃ、神様も打ち込んで下さるというような、おかげを頂かせてもらわねばならない。久留米の初代が仰った、ね、人間の一握りといやあ、たったこれだけじゃけれど、神様の一握りというなら、どれだけあるやら分からんて、おっしゃった。ね、私共がです。
神様の前に本気で神様の前に、惜しげも欲(あ)しげもないような、さっきの本心を見せる意味においてでも、そういう心の状態になったときに、神様がまた私共の上にです、その氏子の上にです。惜しげも欲しげもないような、おかげを下されることこそ、私しは大きなおかげであると思うのです。ね、そう言うおかげを頂くために、只今申しますような過程をです、楽しゅう、嬉しゅう、ね、
「椛目通いが楽しゅうてたまらん」と言うような、信心から信心が進められてまいりまして、「ね」、本気でおかげを頂かせて頂かなければならん。私共は、やはりおかげを大きゅういただかねばです、私共は例えば「一回り大きゅうなろう」というだけでも、信心のその一つの壁を突き破らせて頂かねば、大きゅうはなれません。大きないわば檜舞台である。ね、舞台だけは素晴らしいけれども、踊っておる役者が貧弱だというようなことではない、堂々たる信心をもって、堂々たるおかげをもって、ね、
おかげを蒙っていなければならない。ね、おかげだけでは出来ん形の上の、おかげだけでは出けん。今日四台目八足の四台目の中心に、あのうお菓子や色々お供えして御座いましょうが真ん中へ、皆さんところからキラキラ光ってる、一番上にあのう乗ってる、あれは、ね、あれはあのう生の真珠貝が入っておる。貝がそのまま入っておる。貝の中に真珠がこう、入っておるのをケースの中に、入れてあるやつなんです。ね、
お互いがです、金光教神愛会という、会に会員の一人ひとりであるということはです、様々な会が集うておるわけなのである。その会の中身がです、ね、ああいう得がたい光を放つような、真珠貝のようなものが、中に育っていくようなおかげを頂かなければいけない。ね、ということは、いよいよ自分の本心の玉がです、光り輝いて行くと言うことである。それは、肉を食べられないかも知れない。
けれども、自分の心の中で育っているところの、真珠の貝にも似たような、あのつぶらないうなら宝石がですたい、ね、心の中に育っていきよる。ために、どうでもお互いがいよいよ本気でです、その時そのときの信心に本気で取り組ませて頂いて、おかげを蒙っていかなければならない。勿論、今度の椛目のこうした一つの、大きな動き、こうした働きからです。ね、もめることのない、おかげを頂かしてもろうて。
なるほど椛目にも、ああしたおかげを頂かれるための、土台というか基礎であるというか、ね、それこそ選民として恥ずかしくない信心を私共が、後々の世のために子供たちのために、孫たちのために、そう言う信心を残しておかなければならない。そしてそのときの信心がです、形に表れたのが、あの御造営であったというようなおかげを頂きたいもんだと、こう思います。ね、
一人一人がどうぞ、そのことを私のこととして、ね、はあ「あそこにゃ御造営がありげな、(そんなら?)(おたる?)の一丁でももって、お祝いにいかじゃこて」と、いったような意味合いのものではなくてです、そのことを自分のこととして、おかげを頂きたい。先日私くし、菊栄会の菊栄会じゃない、企画の方達の寄られた晩でした。皆さんがもう色々話し合って帰られるときにぞ。
みんなが立ち上がられます時に、一番最後に高橋さんが残った。私はそげん言おうと思ったわけでもなかったけれども、「高橋さん」ち、肩叩いて私しは申しました。「三千五百万円のお広前ば、建てようと思いなさんな」ち、私くしが申しました。「百万円の家を建てるとおもいなさい」と私くしが申しました、ね、「三千五百万円のお広前建てろうと思うたら難しかろがの」ち、「百万円の家を建てようと思うたら大して難しかことはなかよ」と私くしは申しました。ね、
自分の事として私のこととしてするならば、難しいことはないです。ちょいと扱こうたらもう、5万円ちょいと風呂場いっちょ作ったら10万円と、客間いっちょ作ったらもう50万要った、100万要ったというじゃないですか。私の事としてなのです。それが今日私が申しますような、一回り大きくならせて頂く為に、ね、そういう信心がなされなきゃいけないと私は思うんです。ね、そしてゆうならまあ計画どうりに行くならば、半年後に出来るであろうその、お広前にふさわしい私どもでありたいと、願うんで御座います。 おかげ頂きまして有難う御座います。